2020 年、私たち飲⾷業界にとって、⼤打撃を受ける年となった。かつて経験したことのない、世界的なパンデミック。
それでも私たちは、あなたと会いたい。
これは、今のご時世、誇らしいことだと思っています。
規模を縮⼩するワケでもなく、2020年は新たに5店舗、2021年は6店舗を出店。
攻め続ける。
なぜそこまで出来るのか?
それは、“⼀級品の⽇本の⾷⽂化を味わって頂くこと”で、世界⼀を⽬指す男たちの雄志が静かに着実に燃え続けていること。
そして、まだまだこれからだという⼼意気。
そんな会社で共に働いてくれるスタッフを募集しています。
ある⼈は、ホールスタッフとして。
ある⼈は、厨房責任者として。
またある⼈は、うなぎをさばく、職⼈として。
またある⼈は、海外出店先のスタッフ責任者として。
もちろん、性別、国籍も問いません。
この先の世界は、よりフラットで⾝近になるとか、より閉じて⾏くとか、両極性時代の突⼊と⾔われる未来。そんな不確かな未来をどう⽣き抜くか。
その答えは、⾃ら動き出し、昨⽇までの経験からできた
今⽇のアタリマエをぶっ壊す。これしかない。
あなたの未来は、あなたのその⼿の中にある。出来れば、世界中にピースサインを送れるような、そんなどデカイ夢を掴み取れ。
キャバクラ店長から、
年商1億円の料理長に?!
元は、キャバクラ店⻑という異例の中途採⽤。“修⾏に5年間”なんてルールがあったり、普通うなぎの習得は、捌き⼀⽣、焼き⼀⽣と⾔われるこの業界で、1年という驚異のスピード習得。彼の成⻑が決めてとなり国内2店舗⽬となるうなぎ料理店の新規出店を可能にした。個⼈の成⻑が会社の成⻑にダイレクトに直結した瞬間だった。
留学時代のアルバイトから
海外出店先の幹部候補に?!
店舗近隣のあった⼤学の留学⽣。
ただ、学校から近かったという理由で何気なくアルバイトとして⼊った。⽣きたうなぎを店頭で捌き、炭を管理しながら灼熱の焼き台の前で、「お客様のちょっと特別な⽇のお⾷事にふさわしい料理を」と仕上げる⽇本の⾷⽂化に魅了された。
書き上げた卒業論⽂は「⽇本のうなぎ⽂化について」。
最年少焼き師
居酒屋でなんとなく仕事する⽇々。そんな時に以前お世話になった先輩から連絡が来た。「おもしろい鰻屋あるから。⾷べに⾏こう。」⾏ったら社⻑がいた。なぜか⾯接が始まった。そして…⾯⽩そうだと思って転職を決めた。
店舗で修⾏中にコロナ禍となったが、ECサイトでの通販うなぎの売上が右肩あがり。製造が追いつかないかも。との声を聞いた。
うなぎ⽂化の強さを体感し、⾃分のうなぎで世の中から「美味しい」をもっと欲しい。と情熱に⽕がついた。まだおぼつかないかもしれない。でも製造に加わらせて欲しい。と⼿をあげた。約1ヶ⽉間。毎⽇300本ものうなぎを捌き、焼き続けた。